奥州街道プロジェクト進行中♪

江戸時代の大河原町には、江戸日本橋を起点とする奥州街道の62番目の宿場「金ケ瀬宿」と63番目の「大河原宿」がありました。

人と物資が行き交い、町が形作られてきたこの歴史の道を、町の歴史的観光資として、町民の皆様と奥州街道に興味のある町外の皆様に知ってほしいと考えました。

そこで、当協会では大河原町内の奥州街道の昔と今を紹介するパンフレット「奥州街道 大河原宿と金ケ瀬宿 A3」を制作しました。このパンフレットを片手に、かつての奥州街道に想いを馳せながら現在の道を歩いてみませんか?

パンフレットは(一社)大河原観光物産協会事務局でお渡し致します。

また、歩いた証に「大河原宿通行記念御宿印」と「金ケ瀬宿通行記念御宿印」もご用意しております。ぜひ、大河原町にぎわい交流施設内(中央公民館併設)にあります(一社)大河原観光物産協会事務局まで足をお運びください。

(こちらの御宿印は無料で配布しております。御朱印ではございませんのでご注意ください。)

お越しの際は、休館日や臨時休業にご注意ください。(休業日について詳しくはこちらからご確認ください。)

営業時間は午前9時から午後5時までとなります。皆様のお越しをお待ちしております。

パンフレット表紙
大河原宿御宿印
金ケ瀬宿御宿印

動画 奥州街道金ケ瀬宿 本町と新町の歴史を探る

「奥州街道 大河原宿と金ヶ瀬宿」について

江戸時代に入って幕府は、軍事、物流及び参勤交代のため適当な間隔に宿場を置いて、各宿場に人足と荷駄用の馬(伝馬)を一定数常備させ、荷物運搬に当たらせ街道を整備しました。中でも重要な道路とされたのが江戸と京都を結ぶ東海道など五つの街道(五街道)でした。その中の一つが江戸日本橋と福島の白河を結ぶ奥州街道でしたが、白河以北、青森の三厩までをその延長として奥州街道と呼んでいます。  全長約900キロ、約100の宿場がありますが、江戸から数えて金ケ瀬宿は62番目、大河原宿は63番目の宿場でした。大河原宿と金ケ瀬宿は、現在の宮城県大河原町にあたります。

動画制作日 令和3年10月31日